惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談㉝

 

二年ほど前、岐阜県土岐市妻木町を訪問しました。かっては陶磁器製造の

町として賑わったといいます。三方を山に囲まれ、町中心に妻木川が流れ
ています。

町の六十代の方から色々お話を聞くことができました。

妻木町で生まれた人ならば、誰もが、妻木の殿様は明智の親戚であると知
っていたとのこと。そして光秀の正妻はここ妻木の出身であること。

これは、教えられたのではなく、言い伝えとして親から聞かされたという事
でした。

これが伝承というものなのでしょう。こういったものの方が、文章として残存
するものより、正確度が高い事があります。

妻木氏の山城があった丘陵は城山といい、伊勢湾台風まではうっそうと木
々が生い茂っていたそうですが、強風で多くが倒れたそうです。

この町では、「北は下石」と言います。隣町の下石町が北に位置することか
らきており、方位の確認に便利です。

信長の馬廻り衆で、二条城で戦死した下石頼重は、下石の出身であり、光
秀の舅妻木広忠も、信長に仕えていた時期があったとの説が納得できます。

この町の流鏑馬の儀式は変形した形で残っています。江戸時代にその源が
あるのですが、八幡神社で行われるその祭りには、源系土岐氏に連なる妻
木氏の自負心が感じられます。


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