続濃州余談⑨
所領を給付します。江州知行分とあり、すでに成利は知行地を美濃
國にも所有していたのでしょう。朱印状には
一 薬師村 百弐拾石 一 須恵村 五拾石
等現在の近江八幡市近郊の土地が五百石ほど記され
都合五百石并被官等事令扶候訖、全可領知候成 とあり 森乱法師
殿 と宛名書きされています。
法師とあるのは、前年本願寺との和議が成立する際、成利実母の
妙向尼がこの仲介にあたっており、子供一人を出家させることを条
件に提示しており、これと何らかの関係があるのかもしれません。
この頃信長が、将来の織田家の中核になりうる人物に、所領を給付
しているのは大変興味深いものがあります。
林らの知行地の実態はよくわかつていませんが、かなりのものがあっ
たと思われます。
ことはこのあたりと関係があるのかもしれません。
敵対勢力、公家社会、宗教勢力そして家臣にさえも信長の所領再配
分の戦いが躊躇無く行われており、足利義教の恐怖政治に近いもの
が発芽しはじめていました。(続濃州余談⑧)
妙向尼