惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-05-06から1日間の記事一覧

明智資料⑬

多聞院日記内の、永禄十年十月十日付の記述はこのようなものです。 今夜子之初点ヨリ、大佛ノ陣へ多聞山ヨリ打入合戦及数度、 兵火ノ余煙ニ穀屋ヨリ法花堂ヘ火付、ソレヨリ大佛ノ回廊ヘ 次第ニ火付テ、丑刻ニ大佛殿怱焼了。 大佛ノ陣は、三好三人衆方を指し…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその時代⑫)

松永久秀は、現代において、戦国時代の武将としての評判はかんばしく ない。もっとはっきり言えば、悪評高いイメージがつきまといます。 戦国時代の三大梟雄(残忍で猛々しい人の意味)といわれ、その悪行が 今に伝わっています。しかしこの人の一生をよく見…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその時代⑪)

松永久秀は、商人の出身であり、斉藤道三とは旧知の仲であったという 説がある。久秀と信長の接近の様子をみると、あながち否定できない。 久秀は三好長慶に仕え、文武の才覚で頭角を現し、家宰となります。 長慶の娘を娶り、三好三人衆とともに、長慶の死後…