惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-05-17から1日間の記事一覧

明智資料⑲

織田信忠は、妙覚寺に宿泊していたが、本能寺の異変に気づき、駆けつ けようとした矢先、村井貞勝が妙覚寺に飛びこんできて、本能寺がすで に明智軍の手に落ちたことを知らせます。 極めて短期間に戦闘が終了し、信長が自害に追い込まれたことがわかり ます…

濃州余談⑯

当時の本能寺は、今の位置とは異なり、現在の六角通、油小路通 、西洞院通に囲まれた範囲内にあった。 丹波口にも近く、明智軍はここから、それぞれの持ち場へと分散し 行軍していったのだろう。 現在の本能寺本堂は、京都帝大教授で古社寺修理の権威である …

明智資料⑱

本城惣右衛門覚書内に記された、本能寺の変関係の内容は、要約 すると以下のようです。 ①本能寺に一番乗りしたのは、我々であり、信長を狙うとは夢想だに しなかった。 ②秀吉と毛利との戦闘に、光秀は援軍として赴くところでした。 ③山崎の方向へ向かうと思…