惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談⑯


当時の本能寺は、今の位置とは異なり、現在の六角通油小路通
西洞院通に囲まれた範囲内にあった。

丹波口にも近く、明智軍はここから、それぞれの持ち場へと分散し
行軍していったのだろう。

現在の本能寺本堂は、京都帝大教授で古社寺修理の権威である
天沼俊一の設計によるもので、創建時の面影を残しているという。

本能寺
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