惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-08-13から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人⑪)

江戸時代には、士農工商の身分制があったといわれるが、これは間違い で、身分は武士と武士以外のふたつに分かれ、これらの外にエタ、非人が あり、武士上中層部のみが固定化され、その他は流動的でありました。 農民が商人となり、所払いとなった農民、商人…

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人⑩)

信長は身体頑強な人であった。記録に残されている病歴には、頭痛がある ぐらいで、他は見受けられません。 上京して、御所へ参内する予定だったが、信長は頭痛がひどく取りやめにな ったと「言継卿記」内に記されています。 さすがに、子供の頃から、水練、…

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人⑨)

統一政権を喪失したこの時代は、幕府、守護、地頭、寺社、国人領主そし て農村までもが独自の裁判権を保持し、犯罪人や共同体の利益に反する 者に対して死刑を実施しました。 村同士での水利権や山入権を巡っての争いでは、調停が不調に終われば 農民は武装…