惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人⑨)


統一政権を喪失したこの時代は、幕府、守護、地頭、寺社、国人領主そし
て農村までもが独自の裁判権を保持し、犯罪人や共同体の利益に反する
者に対して死刑を実施しました。

村同士での水利権や山入権を巡っての争いでは、調停が不調に終われば
農民は武装し、村の指導者である武士の指揮のもと戦闘に参加します。

幕府の裁判権や調停機能は都周辺に限られ、まさしく群雄割拠の混沌とし
た時代が展開していました。

武力という暴力機能が、すべてを決定する自力救済の世界であり、武士、
農民をとわず、利益を求めて切磋琢磨する、戦闘が連鎖する時代でした。

光秀もこの時代の子であり、過度の暴力を容認する存在でした。

武人光秀の本質はここにあり、信長、秀吉、家康と同様に、自己の領域保
全と拡大とを、最大の命題とし、自負心と野心に満ち満ちた人物でした。