惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2014-10-05から1日間の記事一覧

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人㉞)

室町幕府政所代蜷川親俊は、曾祖父、祖父同様に日記を残して います。 「蜷川親俊日記」はその大部分が失われており、完全に残ってい るのは、天文七年(1538年)、八年、十一年の三年にすぎません が、この時代の室町幕府の行事、そして主人政所執事伊勢貞…

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人㉝)

「細川家記」によれば、ある書物によると、秀満は濃州の生まれであ り、五器塗師の子供であったとあります。 他書からの引用であることがわかりますが、同書によれば、三宅弥平 次(秀満)は容貌が美しく、光秀の寵愛を受け、成長して後は、その利 発さと勇…

明智資料㉚

明智秀満が使用したと伝わる刀と鎧兜が東京国立博物館にあ ります。 共に華美な装飾はないですが、実用性の中にも上品さが感じ られます。 刀剣好きな光秀から拝領した一振りだったのかもしれません。 鎧兜も無駄のない戦闘本位のものですが、ところどころに…

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人㉜)

明智秀満という人物も、光秀同様謎の多い人物で、その一生はよくわ かっていません。 この人物こそが天海であるという説があります。 又土佐の坂本龍馬は明智秀満一族の末裔であると自称しています。 湖水渡りは有名であり、版画の主要なモチーフのひとつで…