惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人㉜)

 

明智秀満という人物も、光秀同様謎の多い人物で、その一生はよくわ

かっていません。

この人物こそが天海であるという説があります。
又土佐の坂本龍馬明智秀満一族の末裔であると自称しています。
湖水渡りは有名であり、版画の主要なモチーフのひとつでした。

秀満は三宅氏であり、もとは三宅弥平次と名乗っていたことは、資料
から確認することができます。

しかし天海説、龍馬の先祖説はかなり怪しいものであり、湖水渡りも
坂本城を包囲した堀秀政に関する記述のある「堀家譜」によれば、秀
満は湖と町屋のあいだをすり抜けて入城したとあり、こちらの方が信
憑性があります。

秀満は光秀の敗死を知ると、光秀の家族と共に自害し、その骸を晒さ
れるのを嫌い、火薬を使い骸を焼き尽くしたといわれます。

粟田口には、秀満老父の三宅出雲が秀満の替わりに、光秀、齋藤利
三の隣に生きたまま張付けにされました。

津田宗及の記した「宗及記」によると、光秀の主催した茶会に、秀満
は二度饗応役として出席した述べられています。

光秀同様、文武の才に長けた人物だったようです。

湖水渡り(歌川豊宣)
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