惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

2015-01-22から1日間の記事一覧

明智資料㊴

荒木村重の謀反は信長に大きな困惑をもたらし、「志賀の陣」の二の 舞再現を恐れて、又しても朝廷と天皇を利用し、本願寺および毛利氏 との講和を画策します。 本願寺に勧修寺晴豊らが赴き、勅命を伝えます。顕如は条件つきです が、正親町天皇のことばを聞…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀戦闘史㊼)

天正六年八月、光秀娘玉は細川忠興に嫁ぎます。 ともに十六歳であり、信長の意向に添った婚姻であったといいます。 婚礼は藤孝居城の山城勝竜寺城で行われた、と「細川家記」にあり 、花嫁の乗る馬の轡は明智秀満がとり、城外で松井康之が受け取 った、とあ…

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀戦闘史㊻)

「兼見卿記」の天正六年九月廿七日の記述には 右府御下向南方 とあり、信長が大船を見る為に、堺へ向かったことが記されてい ます。 「信長公記」にも同様な記述があり 九月廿七日、九鬼右馬允大船御覧タサルベキタメ、京都ヨリ 八幡マデ御下リ、翌日、廿八…