惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人⑧)


借金を、返さない、返せない人々がいたことは、光秀の時代も、現代
と同様でした。

貸主は訴訟による債権回収が、困難であると判断すると、寺社等の
権門に代理で訴訟をしてもらいます。

勝訴すれば、寺社側は報酬を得ます。これを「寄沙汰」といいました。
「面替」というこの行為は、寺社の表の顔で、訴訟によって債権回収
ができないとわかると、配下の山僧を使い、借主の屋敷に乱入し、衣
服や金目の物品を差し押さえます。

抵抗するものがあれば、暴力をふるい、殺害も厭いませんでした。

これは、神仏の権威を背景とし、俗世を超越した存在であると考える、
彼ら寺社権門のもつ裏の顔でした。

彼らは土地問題にも介入し、占拠した土地の一部を、寺領に組み入
れます。

言い方が少し悪いですが、現代の反社会的勢力に通じるものがあり
、その大親分が比叡山延暦寺でありました。

この延暦寺に対する、信長の仕置きは苛烈なものでした。

そして、延暦寺焼き討ちにおける、光秀の事前工作ならびに戦闘での
働きはめざましく、信長の信頼を勝ち取ります。

坂本の地を与えられた光秀は、都を守護する役目を与えられ、信長の
有力武将として頭角をあらわします。

延暦寺僧兵による強訴
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