2014-01-28 本能寺襲撃の謎にせまる(光秀の出自と前半生⑤) 日本史 足利直義下文(土岐文書) 下土岐彦九郎頼重 可令早領知美濃國妻木郷 多藝庄内多藝嶋榛木地頭 職事 右任祖父土岐伯耆守頼貞 法師法名存孝今月十七日譲状可令 知行之状如件以下 暦應二季二月十八日 源朝臣(花押) これは土岐文書といわれる古文書群の中で、足利直義が明智頼重に、頼貞から 引き継ぐ妻木郷の知行を認めたものです。 明智氏が妻木郷を治めていたことがわかります。明智氏は美濃以外にも知行地を 持っていましたが、この妻木郷周辺を除いてすべて失っています。明智宗家は前述 したように、都で土岐宗家と共にあり、この地を一族の妻木氏に奪われ、旧領の半 分ほどで可児近くの、土岐川付近の土地に押し込められました。明智光秀はその 明智宗家になんらかの関わりを持つ者であり、所領を減少させた彼らは、都やその 周辺に新たな生活基盤を求めたと思われます。 「明智軍記」という江戸時代の歴史書により、改竄されかき消されてしまった、光 秀の前半生がみえてくるような気がします。