惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料㉖


井原西鶴作の「世間胸算用」は、大阪梶木町の書肆(版元)伊丹屋太郎

右衛門、江戸の万屋清兵衛、京都の上村平左衛門により元禄五年に発
刊されました。三都市同時発刊でした。

さすが、売れっ子作家の西鶴です。江戸時代の字も満足に読めない庶民
の為の大衆読み物で、「絵本世間胸算用」は伊丹屋三郎右衛門により発
刊されています。大晦日におこる、金銭をめぐる庶民の悲喜劇を描いてい
ます。

伊丹屋は現在の発行所、印刷所にあたり、太郎右衛門が発行者になるの
でしょう。三郎、太郎は兄弟でしょうか。伊丹屋が有力な、書肆であった事
がわかります。

元禄十五年(1702年)、「明智軍記」は、伊丹屋茂兵衛、毛利田庄太郎を
版元として発刊されました。その他の版元からも発刊されていますが、こ
の伊丹屋・毛利田版が一番できがよく、大英博物館には、江戸時代の軍
記物語りとして保管されています。

史実よりも、娯楽性を優先させたこの書物の販売が、商売的に成功したか
どうかは不明ですが、明智光秀という名前が、この元禄の時代においても
、人々の興味の対象であったことがわかります。

こういった性格の読み物ですから、そこに多大な資料性を要求するのは、
無理があると思われますが、この作者不詳の、歴史好きな庶民を相手に
した、伊丹屋発刊の読み物の、成立過程には興味を惹かれます。

極めてマイナーな地域戦闘であった、可児長山城攻防戦等の記述から見
ると、明智家に関わりの有った者の子孫からの聞き取りか、売り込みでも
あったのでしょうか。

完全に無視することのできない部分があるのが「明智軍記」です。


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