本能寺襲撃の謎にせまる(光秀戦闘史㊺)
ら成り
大船方々相尋候共、無之由候ーーーー
とあるように、前線から要請のある大船が間に合わないので、現地
調達に努めるように、とあり、続いて毛利氏、本願寺の動向を報せ、
淡路の安宅信康に対する調略を、村重からも行うよう指示していま
す。
続いて他戦線の戦況を伝え、宇喜多直家については
とあり、宇喜多勢が八幡山へ向かった。何もできないだろうが、変
わったことがあれば連絡するようにと述べています。
最後に
誠ニ遠路日々ノ注進油断ナキノ段、感悦斜メナラズ候、尚見参
ノ時、申シ聞カスベク候也
とあり、攝津から、村重が信長へ連絡を欠かさず、日々報告をいれ
ていることを大変喜んでいます。
この頃は二人の仲はうまくいっていたのでしょう。
この後すぐに完成した鉄甲船六艘と大船一艘が到着したようで、本
願寺側の水軍と戦い勝利しました。
七月十六日には大阪湾に入り、海上封鎖を行い毛利氏からの補給
路を遮断し、織田方は優位に立ちます。
戦局的には織田方優位な情況が展開していますが、村重は、義昭、
毛利氏、本願寺と共謀し信長に背きます。
信長は疑り深い人ですが、一度信用してしまうと、急にガードが甘く
なる傾向があり、この時も如実にそれがでました。
与えています。
対当寺一味之上者、善悪付付而互相談可令入魂候、従是可申懸
処、遮而承快然候、-----------知行方之儀、惣別
不相構候、取分其方知行分猶以無意趣候、ーーーーーーーーー
摂津国之儀者不及申、御望之国々右如申、知行方従当寺裁判・寺
規、法度候被対申公儀併芸州御忠節之儀候間、被任存分様ーー
十月十七日 荒木摂津守殿 光佐(花押)
とあり、摂津の国は言うに及ばず、公儀(義昭)、芸州(毛利氏)に
忠節を示す事で、御望みの国を守護するのを認めると言っています。
いつ、どのようにして、本願寺、毛利の調略の手が、村重にのびたか
はわかりません。
しかし、細川藤孝はこの村重の動きを注意深く監視しており、度々信
長に対して異変を注進しています。
信長は藤孝に対して
就摂津雑説、切々様体申越候、懇切之儀祝着候、其付宮内卿法印
・万見仙千代遣之、併又惟任日向守中含越置候、相談候、外聞可
然候様気遣専一候、猶委曲松井可申候也
と、摂津におけるいろいろな動きを、詳細に報告してくれて感謝して
いると伝え、松井友閑と万見仙千代を派遣するとあります。
併せて光秀に、色々含ませた上遣わすから、相談するようにとあり
ます。光秀が荒木新五郎(村次)の舅であるから、相談してうまくや
ってくれということでしょう。
噂は広がりやすいから、注意するようにと述べ、詳細は報告に来た
松井康之から口頭で述べさせるとあります。
松井は細川家家臣であり、異変を伝えるべく信長のもとに赴き、そ
のまま信長の返事と書状を持って、藤孝のもとへ戻ったのでしょう。
宮内卿法印(松井友閑)朱印状