2015-01-19 明智資料㊳ 日本史 松平家忠は、慶長五年(1600年)に関ヶ原の戦いの前哨戦である 伏見城攻防戦で、西の丸守将として、小早川秀秋率いる西軍と戦 い戦死します。 家康から捨駒として据え置かれた最後でしたが、その別れのとき 家康は思わず落涙したといいます。 家忠は武人としてよりも、城の縄張り等の土木工事にその才能を 見出す事が出来、能や連歌を嗜む文化人でした。 日記のなかには多くの絵が書かれており、家忠の趣味人としての 側面を垣間見ることが出来ます。 家忠日記より