惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料㊳

 

松平家忠は、慶長五年(1600年)に関ヶ原の戦いの前哨戦である

伏見城攻防戦で、西の丸守将として、小早川秀秋率いる西軍と戦
い戦死します。

家康から捨駒として据え置かれた最後でしたが、その別れのとき
家康は思わず落涙したといいます。

家忠は武人としてよりも、城の縄張り等の土木工事にその才能を
見出す事が出来、能や連歌を嗜む文化人でした。

日記のなかには多くの絵が書かれており、家忠の趣味人としての
側面を垣間見ることが出来ます。



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