濃州余談㊽
一色氏は丹後守護の家柄であり、美濃守護土岐氏とは縁戚関係が
ありました。
一色義定(義有)は武勇に優れ、細川氏の丹後侵攻に頑強に抵抗
しました。弓木城に籠った義定に苦戦する藤孝に対して、光秀は義
定と藤孝娘伊也との婚姻を助言します。
この婚姻はまとまり両者の間に和議がととのい、丹後を南北に二
分し分割統治することとなりました、
信長は義定の力量を評価しており、天正九年の都における馬揃え
や武田氏討伐戦に参加しています。
義定は光秀と近い関係にありました。土岐氏に繋がるものである、
との認識が両者にあったのでしょうか。
されます。警護の為に同行した家臣も皆殺しにされました。
秀吉の指示があったとの説がありますが、信長亡き後のどさくさに
まぎれた、細川氏単独での、丹後統一の企てだったのでしよう。
細川忠興は宴席の最中、盃をとった義定に斬りかかります。義定
は袈裟斬りにされ、その体は二つに割れて倒れました。
この際用いた刀は現存しており、豊臣秀次が所望したといいます。
義定と伊也は夫婦仲がよかつたのでしょう。後日対面した忠興に
斬りつけ、あやうく身体をかわした忠興は、鼻を斬られました。
忠興は父藤孝に似ず、よく人を殺していたようで、舅光秀から投降
してきた者を無闇に殺害するな、と戒められています。
丹後支配に関しては細川氏には不満があり、信長、光秀がいなく
なったのを幸いとして行動にでたのでしょう。光秀と藤孝の関係性
には、このように一色氏を介しての利害関係が内在し、藤孝の立
場を微妙なものにしていました。
銘 信長拵 一色義有御討果腰物