惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談㉞


明治時代の著名な建築家、妻木頼黄は上総妻木氏千石の出身です。

父頼功は、上郷妻木氏五百石から養子に入りました。

妻木氏嫡流七千五百石は、無嗣断絶し、その領地の大部分は天領
となりますが、妻木村上郷は妻木氏支流に残され、上郷妻木氏とな
りました。(光秀の出自と前半生②)

頼黄は幼くして両親を失います。家屋敷を叩き売り、単独で渡米しま
すが、諭され帰国して建築を学びます。

妻木氏の系図は以下のようになります。(寛政家譜)

広忠は明智光秀正妻煕子の父です。範煕、貞徳との関係性が不明瞭
で、不自然さが否めないですが、幕府の公式系図ではこうなっていま
す。光秀との関係の中で不都合な事でもあったのでしょうか。

広忠ー頼忠ー家頼ー頼利ー頼次(断絶)
        |        |-幸広(上郷妻木氏500石)
        |
        |-頼久(上総妻木氏1000石)---頼黄
        |
        |-頼通(下郷妻木氏1200石)ーーー頼熊ー頼保
                               |   (奈良奉行
                               |-重門
                               (常陸妻木氏500石)

頼黄は、日本橋の様式、意匠を担当したのを始め、国会議事堂の建設にも
参画し、多くの建築物にその名を残しています。

東大寺の、明治の大修理に関係し、頼熊、頼保とともに、東大寺再建に貢
献しています。(濃州余談㉒)

妻木頼黄
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