惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(四人の天下人⑳)


惟任とは、奇妙な姓です。姓の大半を占める地名由来でなく、職業由
来や屋号由来でもありません。

中国語で、惟(wei)とは、ただ、だけ、とかひたすら、とか限定の意味
を持ちます。
任(ren)とは、役目に就く、担当する、とか喜んで引き受ける、とかの
意味があります。
日本語でもほぼ同じ意味となります。

とすると惟任とは、喜んで役目に就くのみ、という意味になります。

少し深読みすると、この姓の裏の意味には、光秀にこの姓を受諾する
のみという、信長の強圧的な態度が、秘められているのではないでし
ょうか。

丹羽長秀は、始め惟住の姓を受け入れることを拒否しますが、光
秀の対応は記録に残っていません。

惟任姓への改姓は、毛利氏や九州大名へ心理的圧力を加える目
的だけではなく、織田家家臣団への統制強化の意味合いがあっ
たのではないでしょうか。

信長は、光秀や長秀が、自分の意志を受け入れるかどうか、注意
く見守っていたと思います。

信長の家臣に対する改姓要求は、外敵に対する意味合い以上に、
家臣統制を目的としていたのかもしれません。