惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその時代㉑)


細川藤孝にとって、光秀はいかなる存在であったのでしょうか。光秀に

とり藤孝は、文化的に憧憬の対象であり、文芸の師でもありました。

藤孝にとっても、文化意識が高く、教養のある光秀は好ましい人間であ
ったことでしょう。

しかしこの二人の間には、微妙な問題も又存在していました。
かって光秀の幕府内での地位は、藤孝とは比べようもなく低かったと思
われますが、織田政権内での立場は逆転していました。

又信長が丹波南半国を光秀に与えた後、藤孝に委ねるかたちにしたこ
とで、領国内の一部地域において、光秀側の干渉や押領があり、藤孝
の一職支配が徹底しにくい状況がありました。

藤孝にとり、あまり愉快なことではなかったと容易に想像できます。

光秀と藤孝の間には、その思いに温度差があったと思われます。



古今伝授証明状案(藤孝自筆)
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