本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその時代㉒)
光秀の歌風は、稚拙なところもありますが、実生活とは違い大胆に、自分の
気持ちを詠み込んでいます。
細心で用心深いおのれの心から、解き離れたいという欲求の表れなのかも
しれません。
ときは今 天が下しる 五月哉
この発句で始まりました。事前に父からその決意を聞かされていた、嫡男
光慶以外は、驚きを隠せず、光秀の真意を量りかねただろうと思われます。
ときは土岐氏であり、土岐一族である光秀が、天=信長を降参させるとす
る意味であるのですが、光慶以外の参席者の多くはその意味は判らず、こ
の句の非類型さ、語調の強さ、そしてその雑然さに驚いたことでしょう。
この発句を、紹巴か他の参席者から聞かされた藤孝は、即座にその意味
する事を理解しただろうと思われます。
藤孝嫡男忠興は、光秀とともに、甲斐侵攻に参加しました。忠興と舅光秀
はその行程の中で、話合う機会が少なからずあったことでしょう。
忠興は、光秀の心境の変化を、感じたかもしれません。
しかし、両名ともに、光秀がここまで大それた事をするとは想像できなか
ったと思われます。
愛宕百韻