惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談㉛


永禄十二年八月一日、山科言継は岐阜に滞在していた堺の今井宗久らと、

武井夕庵の案内で、山城を見学する為に金華山を登ります。

午後二時ぐらいに麓を出発しました。山頂に到着すると、城内で「微音音曲
共囃」があり、続いて信長と一緒に夕食をとりました。
その後城中の見学をしています。

岐阜城から広がる眼下の風景を「嶮難風景言語不可説」と絶賛しています。
飛行機からみるようなこの景色を、言継は言葉では表現できない、とまで言
っています。そして暗くなる前に下山しています。

この山城や山麓の信長の館の様子は、フロイスも詳細に記録しています。
信長は、山頂の山城に併設された御殿でいつもは生活していたようです。

フロイスが山城を訪問した時は、信長自らが料理の膳を運んだといいます。
この様子をみて、幼かった次男の信雄は、目を丸くして驚いたと述べられて
います。