本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と朝廷・公家社会㉑)
正親町天皇と信長の関係は、義昭追放後変化を見せはじめ、信長は誠仁親王
との交流を深めていきます。
焼討ち後は、甲斐の武田信玄のもとに身をよせていました。
と続く流れのなかで、天皇の立場が確実に変化していったことは間違いないでし
ょう。
しかし朝廷財政のすべては都を制圧した信長の管理下にあり、天皇の意志どおり
に、例えば朝廷の専権事項である譲位すら、信長の経済的援助がなければできな
いのが現実でした。
これらはこの種の問題に対する信長の関心の低さにあり、又信長の経済的援助が
なければ、即位礼も開催できない事実からも、信長は正親町天皇の譲位には、賛
同していなかったと推測できます。
判断していたのでしょう。
こそ、綸旨の効果が誠仁親王よりもあらわれると、信長は判断していたのかもしれ
ません。
しかし、地方の一武士勢力である織田氏は、信長という稀有な個性により朝廷と渡り
していくことになります。
平成天皇即位礼