本能寺襲撃の謎にせまる(光秀と幕府奉行衆・奉公衆㉕)
室町幕府内での奉行衆、奉公衆の成り立ちには、足利氏嫡流家の家政機関にそ
の原点が見られることはすでに述べました。
でした。
らの地区から寄せられる、訴訟等の諸問題を取り扱う為に、嫡流家内に奉行
所をもうけ、それに従事する奉行人をおきました。
これらの奉行人は足利氏の執事である、高氏、上杉氏により統括されており、
その所領を保全する軍事力として、足利氏被官が派遣されました。
府内で、法制行政を担当した、家職としての奉行人を吸収し、政所として政権の
基盤を支えていきます。
室町幕府内で、同時期に成立した、侍所等の機関が形骸化していくなかで、政
所が大きな力を維持できたのはこのような成立過程にあります。
所領の軍事・警察力として派遣された足利氏家臣団は、地頭職以外の庶流は、
所領内の村郷の管理者となり奉公衆へと転化していきました。
足利尊氏時代は政権基盤は極めて脆弱で、義満、義教により、この制度は整備
拡充され、奉公衆が政権強化の核になっていきます。
的基盤をなくしていきました。
は都周辺のでの税の徴収に生活の場を求めます。
十三代将軍足利義輝は、幕府の再興をめざし、幕府政所を統括する伊勢氏と争
い、挙兵した伊勢氏を、三好一族とともに滅ぼしました。
これも変な話で、本来幕府に従属すべき組織が、将軍の管理化を離れてしまって
おり、伊勢氏はその力を奪われますが、義輝が、三好一族により殺害された時は
、政所に所属する奉行衆は、戦勝の挨拶に三好一族を訪れています。(四人の天
下人㊸)
同時に、多くの奉公衆も奉行衆とともに挨拶に訪れており、主君たる将軍を殺害
した相手に祝辞を述べるという奇妙な展開になっていますが、この時点では将軍
と奉行衆、奉公衆の主従関係は崩壊していたと考えてもいいでしょう。