室町幕府奉行人が発給した奉書内で、その内容が明智氏に
関するものとして確認できるのは、以下の一通です。
今和睦知行分者、可折中旨、被成御下知訖、宜被存知
之由、所被仰下也、仍執達如件
明応四年三月廿八日
下総守(飯尾為頼)花押
前丹後守(松田長秀)花押
道玄宜との知行地に関する揉め事を、折半にすることで解決を
指示したものです。(四人の天下人⑭⑮)
当時は船田合戦の開始時期で、守護土岐左京大夫は土岐成
巻き込んだ混乱の中、どのような争論が存在したのか確たる事
は言えません。
上野沼田土岐家譜内で確認できる、明智頼定の名前が奉書内
に登場するのは興味深いことに思われます。