惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料⑫


岩佐又兵衛荒木村重の実子として、天正六年に生まれる。
母は、だしと推測されるが、確認はできない。荒木一族は幼
子を含めて、ほとんどが処刑されたが、乳母の機転で生き残
り、本願寺に匿われ、成長後織田信雄に仕える。画才に優れ
、信雄の改易後、絵師として生計をたてる。人物描写に長け、
その作風は浮世絵の基礎を作ったといわれます。


       岩佐又兵衛「山中常盤物語絵巻」

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無残な死に方をする常盤御前のなかに、六条河原
で斬首された母の姿を見たのかもしれない
(濃州余談⑫)

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