惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談㉓


岩村城は日本三大山城として有名です。元亀元年、武田信玄家臣秋

山信友は、岩村城に近い上村に侵入します。

それに対し織田方は、岩村城主遠山景任を総大将とし、小里氏、妻木
氏そして三河の奥平氏、菅沼氏らが参陣し対抗します。

数にまさる遠山軍でしたが、寄せ集めであり、戦上手の信友の前に敗
退します。

翌二年、武田軍は再び岩村城に来襲します。東美濃の拠点岩村城が、
武田軍の手に落ちるのを避けたい信長は、光秀を急遽派遣したといい
ます。光秀は遠山軍とともに、恵那郡山田子村で武田軍を撃破したと
いいますが事実関係は不明です。

翌三年岩村城は武田軍の手に落ち、その奪還は長篠戦の勝利の後と
なります。

元亀二年前半の光秀の行動は定かではなく、光秀が東美濃での戦闘
に参加している可能性もあり、小里氏や妻木氏との関係性からも、興
味深いものがあります。

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