惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

明智資料㉒

 

光秀が折りにふれて訪問していた、吉田兼見の住まいは、かなりの豪邸

であったようです。

母屋は当時は高級品の瓦葺きの二階建てで、表の座敷から裏、奥、茶
湯、小座敷とつながり、夫人が日常を過ごす居間、台所その他使用人の
部屋がありました。

又屋敷内には、馬屋、多数の土蔵、客殿、別棟があり、二箇所の庭があ
りました。特に北側の庭は豪華で石庭が設えてありました。

周囲には築地と堀がめぐらされて、西側の堀は二重で堅牢に作ってあり
ました。馬屋に隣接して馬場があり、天正九年二月の馬揃えの時、光秀
はその一週間前に、細川藤孝とともにこの春日の馬場で、乗馬の練習を
しています。

乗馬に自信がなかったのか、慎重な光秀の性格を見て取れます。




兼見邸付近の全容です。吉田山の麓に位置し
吉田社、春日の馬場がみてとれます。地図最
下部が兼見邸でその大きさがわかります。
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