惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

濃州余談㉕

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昨日(23日)、岡山市林原美術館と、共同研究する岡山県立博
物館は、長宗我部元親が四国の領土をめぐり、天正十年六月の時
点で、織田信長の命令に従う意向である、と記した手紙が「石谷
文書」の中から発見されたと発表した。

一月十一日付書状では、斉藤利三が「元親に織田の要求に従うの
が長宗我部の為になるし、主君光秀も努力している、と伝えて欲し
い。」と、石谷光政に頼んでいる。光政は頼辰の義父である。

五月二十一日付書状で、元親は利三あてに、「占領した阿波国
諸城からはすでに撤退した、と信長様に伝えて欲しい。」と述べて
いる。長宗我部氏としては、織田信孝を総大将とする織田軍の渡海
を前にして、その上陸地である阿波から軍を引き、戦闘の意志がな
いことを表明したと思われる。


発見された書状
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