惟任日向守光秀

日本中世史における明智光秀の実像

本能寺襲撃の謎にせまる(光秀とその日常㉒)

 

「絵本太功記」は歌舞伎演目として、寛政十二年(1800年)、大阪角芝居

中山座で初演されました。

初演時の本外題は「恵寶太功記」、全十三段で、近松一門の合作です。
光秀が謀反を決意した時から、山崎の戦いで破れ、土民の竹槍で落命
するまでを、実録風に描いています。

山場である十段目の「尼ヶ崎の段」のみが、見せ場として上演されること
が多く、「絵本太功記」といえば十段目を指し、「絵本太功記」の事を通称
して「太十」と言う様になりました。

この十段目は、光秀の家族を中心に描かれ、光秀が滅んでいく様が強調
され、哀れさを誘います。

現在も上演され、歌舞伎演目の題材にされる、光秀やその家族は、忠臣
蔵とおなじように、権威に立ち向かい滅んでいった者として、江戸時代の
庶民の共感を得ていたのでしょうか。


太十
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